後ろでは先生が料理をしている。……エプロンを着けて…
そんなところ、何が何でも見られる訳にはいかない。
「誰か来てるの?」
「へ?」
美奈は笑みを浮かべながら半分程開いた玄関のドアからヒョコっと顔を覗きいれる。
「ど、どうして?」
「…靴が」
靴?………はっ!、しまった先生の……
女ものだと一目でわかる靴。
「あ、ああ、ほ、ほら、今、家庭教師が来てるんだ」
やばい、かなりキョドってるのが自分でもわかる。
しぐさや抑揚が不自然だ。
お、落ち着かないと……
「そう…なんだ、…ごめんね、タイミング悪かったね」
「いや、そんなこと!」
寂しそうな顔をする美奈。
僕はブルブル左右に手を振って否定した。
……しかし、これは逆に良い流れだ。
美奈には悪いけど、今日はとりあえずこれで帰ってくれ。
先生とのことは今日この後解決するから、今日のところはこれで…
「じゃあ、こうしよ!和也が勉強している間、私が料理してるから
終わったら一緒に食べよ!」
何か良いアイデアがひらめいたときのあの生き生きとした表情で言う。
そんな顔で見られても……
手に持っているスーバーの袋はかなり膨らんでいる。
きっといろんな食材を用意してくれたんだろう。
ああ、いっそこのまま家に上げてしまおうか……
………
だめだ!だめだ!!
何を言ってるんだ僕は!!そんなことできるわけないじゃないか、この状況で!!!
家に上げるという選択肢はありえない。
そうだ、答えは初めから一つ。
帰ってもらうしかない!!
「いや、でも、家庭教師、今来たとこなんだ。だから終わるの結構遅くなるから…」
「………」
………ん?美奈の様子が……
黙り込んで…何かを考え込んでいるような……
「どうかした?」
「………何か、良いにおいがする」
へ?………ほんとだ……
この家の中から………まずい……
「誰かいるの?」
美奈は上目遣いで僕を見る。………何かを疑い始めてる……気がする。
「だから家庭教師が…」
「キッチンに!」
問いがすばやい。
かなりピンポイントなところをついてくる。
キッチンに誰かいるということはそこでその人が料理をしているということ。
そうなると僕が今まで話していたことに疑問点が生じてくる。
そうならそうとなぜ始から言わなかったのか。
……だんだん返す言葉がつらくなってきた。
嘘に嘘を重ねると、という典型的な例がまさにコレ。
どうする?何て言う?何か抜け道は??
「私、これで帰るね!ごめんね何か邪魔しちゃったみたいで。
ただ、和也においしいもの食べさせてあげたかっただけだったんだけど……
それじゃあ、勉強がんばってね!バイバイ」
「え?ちょ……」
美奈は疾風のごとくしゃべり、疾風のごとく走り去っていった。
質問の答えを待たずに…
……何か感づかれたか…
最後に美奈が見せた笑顔はぎこちなくて、とても不自然に思えた。
………気のせいだよな……


……先生の機嫌が悪い。
どうやら美奈との会話の一部始終が聞こえていたらしい。
勉強のことで質問したら答えてくれる。
でも、勉強に関係ない話しをしても何も答えてくれない。
……気まずい………どうしようもないほどに…
今、先生は僕に問題を解かせ、本を読んでいる。
………
静かだ。静かすぎる。
こう静かだと逆に勉強しずらい。
「あの……」
「何?」
視線は本に向けたまま、口だけ開く。
「この問題なんですけど……」
「…………コサインの加法定理を思い出して」
チラッと問題だけ見て、サラッと答える。
「加法定理………何だっけ……」
覚えたはずの公式を忘れてしまった。
もう、頭の先まで出かかってるのに……
「………」
「………」
僕は、「わからない」という無言の合図を先生に送る。
「殺す殺す死ね死ね」
………
「………………………え?」
………
一瞬、空気が死んだ。
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